003 人によって何が嫌かなんて違うよね~って話

寝れない、というと嘘だと思う。恐らく目を閉じてじっと布団にもぐっていればいつかは入眠できる、が、どうもその努力をする気が起きない夜です。Jpopの歌詞に執拗に登場する「寝れない夜」というのは、だけど、こういう夜を指すんじゃないだろうか、そうじゃないと今後「寝れない夜」に共感しがたくなる。共感があったほうが良いものに感じるし、良いものは世の中に多ければ多いほど良いので、「寝れない夜」とは決して本当に寝れない夜ではなく、寝る努力をする気が起きない夜、という解釈をする方針でいきたいなと思いますが、いかがでしょうか。

 

言葉にするのは好きではあるが、普段から特別あれやこれやと思考を巡らせているわけでもなく、むしろ何も考えずにぼーっと過ごす時間のほうが多いため、溜め込むほどの言葉を吐くのが意外と努力が必要なことに気付いた。努力、非常に嫌い。努力を目標にして努力をするのが特にめっぽう苦手。具体的かつ魅力的な目標さえあれば、なんとかできるほう。このブログには特に具体的かつ魅力的な目標が無いので、いつまで続くものだか非常に怪しいなと思っています。10を突破するごとに美味しいつまみかおやつが届くとか……100行ったら食べ放題じゃない焼肉奢りとか……そういう私だけが得をするシステム、無いかな。無いか。

 

さて。さてと区切るときはだいたい次の話題が浮かんでないときです。

考えることに使う時間は少ないが、考えることそれ自体は好きです。想像信仰の気があるという話を以前した気がする。そういうものだから、で思考を止めるのが一番苦手。こと人間関係においては、特に。

大抵の場合思考は、あらゆる疑問や疑惑から始まります。この式の答えはなんだろう。あの人の名前なんだっけ。なんで空は青いのか。死後の世界ってあるのかな。誰なのよあの女は。なんだろう、なんでだろう、どうだろう。などなど。何かしら解決したい問題や疑問があり、それを解決するための手段が思考。このナニナゼに答えや理屈を線で繋げるプロセスが思考だとしたら、思考とは非常に理論的な行為です。人間らしくていいですね。

しかし思考の根底には、思考する人間がいて。人間は理論の反対としてよく取り上げられる「感情」を持ち合わせているわけで。理屈から感情を弾き出すのは、時には大切なことだけど、時にはその行為自体がお門違いだと感じることがあり。そこの線引きの難しさというものを、最近はよく感じます。

 

理屈が通っているほうが正解なのか。合理的な判断のために、感情は、排除されるべきなのか。

 

努力が非常に嫌いで、人間関係においてもそう。頑張りたくない、と常々思っている。面倒事は避けたい。嫌なことは起きないでほしい。例えば正しいことがわかっていても、お互いがそれを嫌だと思うなら、正しくなくてもいいか、と判断することが多々ある。抜けるところは抜きたい。しなくていい努力はしたくない。逆に必要な努力なら、一見意味わかんなくてもするべき。

 

こと人間関係における「理屈」は、たいてい「感情」の存在を根底に成り立っている、と思います。

悪口を言ってはいけません、相手が嫌がるから。笑顔で接しましょう、相手が安心するから。挨拶をしましょう、相手が気持ちいいから。「人間の感情」という非常に曖昧で個人差があるものを一般化して、それに沿って人間関係上のセオリーは成り立っています。こんなこと言ったら心理学の先生に怒られるかもしれないな。でも言いまーす。

99%の人は、悪口を言われたら嫌で、笑顔で心を許し、挨拶で気分が良くなるかもしれない。じゃあ、残りの1%は?

 

小学生の頃、クラスメートに「さん」付けをするべきか、呼び捨てしてもいいかで学級会議が勃発したことがありました。担任と児童で少々揉めた後、痺れを切らした担任がクラスの中でも清楚で真面目な女子児童に「じゃあ◯◯さんは、クラスメートの男子から◯◯って呼ばれるのと、◯◯さん、って呼ばれるのだったら、どっちがいい?」と聞いたところ、児童は「普通に◯◯のほうがいい」って笑いながら答えたのが印象深くて、もう20年近く前なのに未だに憶えてます。それを聞いた担任は少し項垂れた後、「相手が本当に嫌がってないのなら、好きにしなさい」と結論を出しました。担任が、それでも呼び捨ては良くない、と、無理やり話を進める人じゃなくて良かったと思ってます。

99%のために思考を止めるなと言いたいわけでも、1%のことを考えろと言いたいわけでもない。ただ、自分にとっての普通が、誰かにとっての普通じゃないことがある。そういうときにセオリーは役に立たない。人間関係の中の理屈が何のためにあるのかといえば、相手を傷つけないためであって、より良い関係を築くためであって、つまり相手を思うためにあるのであれば、相手に応じて理屈の答えが変わるのは当然だよな。

 

いうてね、大して好きでもない上司には、悪口を言わず笑顔で挨拶だけしてればいいと思うんです。そうじゃなくて、大切にしたい人とか、友達とか、恋人とか、そういう人たちと良い関係でありたいときには、相手について知ることと考えることってわりとマストな気がする。つまり、感情のために理論を捏ねる過程。どこは気を抜いていいのか、どこは気を付けるべきなのか。相手が本当に嫌がってないのなら好きにすればいいし、相手が嫌がってるんなら、セオリーだろうがなんだろうが即刻やめちまったほうがいい。わかりやすく言えば、一緒にご飯行くときは、食べれない物無いか聞こうぜって話だな。そして食の好みが合うやつは大事にしよう。

 

なんか出だしのわりに死ぬほど陳腐な結論になっておもんねって顔になった、今。てことで、寝ます。