006 企画展「自然と人のダイアローグ」について

感想というか考えたことの備忘録、のようなもの。無駄に長いです。タイトルの企画展に行ってないとまじでなんの話かわかんないと思うので、優しい人は載せてるタイトルの絵を検索しながら読んでみてください。

ちょっと行った気分になれるので以下の紹介記事がわりとおすすめです。(私も思い出すために結構見た)この記事内で名前上げてる作品の写真もわりとほぼ載ってます。この記事読むより絶対すぐ終わるので、先に読むか並行して読むのをおすすめします。

storyweb.jp

 

企画展のテーマについて

自然に関する絵が並んだわけだけど、自然だけがテーマじゃない。まあだいたいざっくり1800年代以降の絵がメインだったが、この時代の絵画において「自然と人のダイアローグ」という主題はかなり重要だと思います

西洋美術史において今回展示されていた絵画は派閥的に「印象派」「ロマン主義」あたりが多かったんですが、このあたりって「自分の好きなように描こうぜ」「絵で自分の考えを表現しようぜ」みたいなスタイルの人が増えてきた時代なんです。要はなんか全体的に自己主張が激しい。それぞれの画家にスタイルがあって「らしさ」を感じる絵画が増えてきた時代だなと思います。

(いろんな画家の作品が数点ずつ並んでて、画家についての解説もわりとしっかり載ってたおかげで画家ごとのスタイルや主張や好みの違いもわかりやすかったのが今回の展示の単純に楽しかったポイントのひとつだよね)

 

人は大昔から自然の中にいろんな意味を見出してきました。四季の巡りを人の人生に例えてみたり、大地を父と、大洋を母と比喩してみたり、夜に死と眠りを見たり、いろいろ。(今回の展示の目玉作品、ゴッホの「刈り入れ」の解説で知ったんですが、聖書にも麦を人に例える一節があるそうです。「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」)

 

しかし当然、自然自体に意思はないし、人間と対話しようという気ももちろんあるわけない。

企画展のタイトルの「自然と人のダイアローグ(=対話)」とは、その実、天文学や物理法則に則って一瞬ごと千変万化に移り変わる自然を足掛かりに、自分自身、或いはもっと大きな社会や世界とひたすら向き合う果てしない行程なのかな……と解釈しています。(なんかミクロコスモスとマクロコスモスの話みたいやね)

コリントの「樫の木」は、私が一目見たときの印象は「こわい」でした。枠に収まりきらない大樹が青白い空を背に黒々とそびえ立つ姿が、人にはもうどうしようもないものに感じられたのかなと思います。描いた人も、この威風と物寂しさを感じていたのかなあ、そうでもないのかな、でも何かしら、ただごとではない衝撃とか感動があってあの木を絵にしたんだろうな、というのは伝わってくる。

とはいえ樫の木に人々をこわがらせようとかなんとか思わせようなんて意思があるわけではなく、自然の中に何かを見出して、感じ取る我々がいるだけなんですよね。そんな対話のアウトプットの成果がここにある作品たちで、どれもこれも画家の精神や感性と深く結びついた作品群だと思うと、見るのが楽しかったですね。

 

自然がもたらす刹那性と規則性について

例えば人が作った建物のある景色があるとする。全く同じ場所から、全く同じ角度で、全く同じ建物を、全く同じように見たとする。建物自体はほぼ変化は無いのに、その風景には見る度に姿を変えるわけです。

静けさの中で冷たくて白い光をめいっぱい吸い込む朝。光と影が濃くなり、音と色で彩られ活気に満ちる昼。斜めに伸びる赤い陽光の中で影が行き交う夕暮れ。闇の中で光が瞬き、帳が様々な物を覆い隠す幻想的な夜。花が咲き陽光に目覚めと温もりを見出す春。強い熱と光、時折生と死のコントラストを見る夏。空が遠ざかり、生き物が眠りに就く準備をする秋と、厳しさと静けさの中に時折目が覚めるような美しさや喜びを見せる冬。

それぞれの季節、それぞれの時間、あるいは天候ごとの表情を見せる景色、その「一瞬ごとの景色」に、今回展示されている作品の画家たちは何かを感じたり、あるいは求めたりしていたのかな、と思います。

モネの朝の聖堂の絵(ルーアン大聖堂のファサード(朝霧))や、レイセルベルヘの夜の港の絵(ブローニュ=シュル=メールの月光)は時間と天候による一瞬の景色への愛を感じて良かったな。ピサロの「ルーヴシエンヌの雪景色」は冬の夜大雪が降って朝晴れた日の雪景色を見たときの感動を思い出して好き。

 

その反面で、自然界にはたくさんの規則性があるわけです。花弁の数は花によって決まっていますし、太陽は昇れば沈むし、波は寄せては返すし、雪が解けたら春が来る。自然の本質、その魅力の根源にパターナリズムを見出した人もいるっていうのも面白いよなと思います。

そもそも美しいと感じる心は何か。黄金比が自然界にも多く見られる現象で、それを最も美しいと人が感じるのは何故か。そもそも人間とて自然から生まれて自然の中で生きてきたわけで、その感性に自然の中にあるリズムっていうのは思った以上に深く根付いているのかなとか考えたりします。しらんけど。詳しいことは専門家に聞いて。

ガッレン=カッレラの「ケイテレ湖」、ホドラーの「モンタナ湖から眺めたヴァイスホルン」、ランソンの「ジギタリス」などは、作為的ではない自然そのものが持つリズムを装飾として取り入れてるのを感じます。素朴さがあっていいよね。

 

「美術展」の良さについて

なんか頭の良さそうな話を偉そうにいっぱいしてしまって恥ずかしくなってきたので、もうちょっと頭の悪い話をしようと思います。要はでかい絵っていいよな!という話です。

企画展の順路や絵の配置ってすごく綿密に構築されてて、壁の位置とかによって次の絵がちらっと見えたり、急に絵が視界に飛び込んできたりするわけです。広い空間に何枚も絵が並んでる場所もあれば、小さめのスペースに1,2枚ずつ飾られてる空間もあったり。

特にでかい絵がどんと視界に入ったときとか思わずにやける。マスク社会万歳。でかい絵ってさあ、それだけで良いんだよなあ。

1章ラストの、角曲がった瞬間に明るめのスペースに堂々と待ち構えてた、リヒターの「雲」はインパクトあったなあ。隣にモネの「舟遊び」が並んでるのもいいね。

 

「雲」とかいう作品(めちゃくちゃ写真だと思ってましたがあれ油彩らしいです。ばけもんか)、まじででかいんですよ。大人5人分くらい。そこに曇り空をそのまま切り取ったような絵があって。額縁はなくて。曇り空って言ってもわりと明るいんです、太陽光が透けてて、雲の縁は白く光ってて、雲が重なってる部分は濃いグレーで、青空が見えるような見えないような、そんな空が、どんって出てくるんです。

昼間、雲が無い日にそのまま空を見上げるのはまぶしすぎて、ああやって少し雲が空を覆ったときに明るいほうを見上げると、ちょうどあんな具合。雲が太陽光を含んで微妙なニュアンスで色を変えて光って、美しいけど、濃いグレーの雲の向こう側はわからない。空への憧れを思い出させるような特大サイズの絵。

んでその隣にはモネの舟遊びがあるんです。これも結構でかい。大人2人分くらいかなあ。額は金で結構しっかりしたやつ。女性が2人小舟に乗って楽しそうに談笑……しているのかはわかんないけど、半分以上が水面を占める絵で、空は一切写っていません。水が青いから晴れてるのかなあ、くらいの想像しかできない。主題は舟と女性で、印象派らしく筆のタッチが残った写実的とは言い難い絵です。

超対照的なんです、この2枚。んでどっちもでかい。この2枚並べようぜって言った人やばいなって思います。それぞれの主張や自然に対する感動への愛情表現を、最大出力で同時に食らう羽目になるんです。キャパオーバーなります。こういうときに、美術展サイコー!って思います。

でもよくよく見てればその中に確かに同じような愛を感じるんですよね。揺らぐ水面と流れる雲、さざ波や雲の粒子に反射する光、憧憬とか。だからぱっと見対照的でも、同じ空間に並べても全然喧嘩しない。横並びじゃなくて狭いスペースの角を挟んで飾ってるのもいいよね。片方見ようと思えば集中できるし、少し引いたらどっちも目に入る感じ。

 

有名な作品(今回の企画展まじで有名どころばっかだった)は結構、インターネットで検索したら出てくるやつが多いんですが、やっぱ専門家が練りに練った順番と配置で飾られた作品を生で見るのは格別の体験だなと思います。楽しいね!

 

人の営みと自然の関係について

人は自然の恵みを享受して生きてる……というとなんか急に説教くさいですが、人の営みと自然は切り離して考えることはできません。

今回の大目玉であるゴッホの「刈り入れ」は、まだ暑い季節に、ひとりで延々と麦を刈る農家の姿が描かれてます。眩い金色の太陽と麦が印象的で明るい絵に見えますが、この刈り入れられる麦は人の死を、刈り入れをする人に悪魔の姿を、ゴッホはそれぞれ見たといいます。仕事してるだけの人に悪魔なんてそんな、殺生な……と思わなくもないけど、ただ、ゴッホは死を悲観してこの絵を描いたわけじゃないそうです。

ゴッホは弟に宛てた手紙に、「この死のなかには何ら悲哀はなく、純金の光を溢れさせる太陽とともに明るい光のなかで行われている」と書き残しています。

麦は毎年決まった時期に植えられ、決まった時期に収穫されます。そこに麦の意思はなくて、人間の手によって育てられて刈られる。そのサイクルを、人間は巡る季節とともに繰り返します。自然の中に季節の巡りがあり、それに合わせた人の営みがあり、その繰り返しの先に死があり、新しい生がある。我々は我々の意思で生きているようで、案外不自由で、でもそのことは暖かな自然の中で生きて死ぬ幸福との引き換えなのだろうな、と思います。

人の営みを描いたものだと、セガンティーニの「羊の剪毛」とかも良かったです。羊が好きという贔屓目もある。かなりでかい絵で、手前の屋根の下で若い男女が一生懸命羊の毛を刈ってるんですが、奥の空の下には大量の羊がいて、この作業たぶん相当大変だろうなと想像がついてしまうのがいいよね。

 

なんか想像より長くなったのでこのへんで〆たい

気付いたら4000文字以上書いてた、馬鹿かもしれない。長いよ。長けりゃいいってもんじゃないぞ。うんまあでも感動や考えたことを忘れる前に書く必要があったから、つまり要は急いでたので、長くなるのは許してほしい。

今回の企画展は超当たりでした。いろんなことを考えるきっかけにもなったし、単純に楽しかった。でかい絵いっぱいあったし! 最近美術展って全然行けてなかったんですが、また行こ~って思いました。この企画展に関してはできれば期間中にもっかい行きたいな。