002 絵のことと、感想を言うのは怖いって話

どうせすぐに飽きてブログの存在すら忘れてしまうので覚えているうちに何か残しておこうという、そもそも意味のないブログなのにそういう打算でまた記事編集画面を開いている。無意味なことに対して打算とは、一体。

更に300文字くらい書いてから面白くないな……と思って消して今。そもそも面白い話をするための場所じゃないんだけど、書くのもつまらないんじゃいよいよやめたほうがいいという話になってきます。

 

さて、今日は何を話そうか。ふたつめの記事だし自己紹介とかしておきますか。そういうのは……ひとつめでやるべきなのかもしれないな。まあええか。

好きなことについて。絵の話でもしようかな。

 

絵を観るのがまあまあ好きで、稀に美術展に行くことがあります。稀に。

芸術の価値とは非常に曖昧で、いい絵かどうかというのは観る人とか、時代背景とか、描いた人とか、いろんな要因で左右されます。

どっかの掲示板のどっかのお絵かきスレでの話をひとつ。ゴッホだか誰だか、とにかく超有名画家のスケッチを載せて、「絵を練習し始めた、自分の絵だけどどうだろう」という誰でもわかりそうなホラを吹いたところ、「デッサンがなってない」「基礎から練習しろ」と上から目線のレスがどんどこ届いたという面白話があって。あれめっちゃ好きなんだよな。

実際美術展に行くと、クロッキー帳のぺらぺらの紙に描いた簡素なスケッチが、大層な額縁に入れられて飾られてたりします。上手いんすよ、実際。上手いんだけど、物によっては「絵が好きな高校生のスケッチブックです」て言われてもわからんやろな……というものもある。いっぱいある。

なんならスケッチじゃなくても、ちゃんとキャンバスに描かれた作品でも、これがすごいのか……と思うような絵、結構ありますあります。こんな話したら怒られそ~~~!! でもします!! みんなピカソの絵の何がすごいのか説明できるんか? ゴッホより普通にラッセンが好きな人、いっぱいいるんじゃないか?? 美術展とか行く人のうち多分何割かは、ちゃんとピカソの凄さを説明できるんだと思います。それが過半数なのか、半数以下なのかすら想像すらつきませんが……ちなみに私はできない。それでも絵を観るのは楽しい。

 

絵を描く人と美術展に行くと、「色の出し方が綺麗」とか「タッチで立体感が出てる」とか「構図が」「描き込みが」「人体が」みたいな話を結構してくれてめっちゃ面白い。描かない人と行くと、「あの絵が好きだった」とか「あれはよくわかんなかった」「あの絵の人の顔が面白かった」みたいな話が出てきて、それもそれでめちゃめちゃ面白い。

私の周りには、恵まれたことにいろんな人がいます。絵を描くのが得意な人、映画をたくさん観てる人、音楽に青春を捧げた人、いろんなゲームをしてきた人、味にうるさい美食家の人、野球にやたらと詳しい人、みんなが素通りするものに気が付ける人、いろんなことに興味を持てる人。それぞれがそれぞれ違う視界を持ってる。それぞれごとの感想が出てくる。面白すぎる。

 

でもですよ、例えば音楽に詳しい人の前で、この曲が好きだとか、この音楽のこういうところが好き、みたいな話をするのってちょっと緊張します。恐る恐る話して、いい反応、わかる~! とかいいよね~! が返ってきたとき、少し安心してしまう。

多分「美術がわからない」って言ってる人のうち何割かも、同じなんじゃなかろうか。この絵がどんな意図をもって描かれたのか、どんな時代の絵なのか、画家はどんな人生を歩んだのか……そもそもこの絵の何がすごいのか。色? 構図? 解説を読んでみるとあれがあれを表しているらしい、とか。わかるかそんなん!! みたいな……それがわかんないと、「いい絵だった」「あの絵が好きだった」なんて言っちゃいけないような気がする。

 

私もその感覚は未だにある。自分の感性に自信が無いので、何かの感想を語るときに、これは正しい感想なんだろうか、と怯むことが、結構な頻度である。頭では気にしなくていいとわかってても、みんなが面白かった! と言ってる映画につまらなかった、と言いたくなったとき、逆にわりと酷評されてる本が普通に面白かったとき、同じような感想を抱いている人がいないか、先に探してしまうことがある。そしていると安心する。あーこの感想で良かったんだって、安心してから、こんなことで安心している自分のしょーもなさにちょっと辟易する。誰かと一緒じゃないと、褒めることも悪口も言えないのかよっていう。

あらゆる作品に対して思ったことを、正直に言えるようになりたいなと思う。怯まずに。ゴッホの絵だって、ゴッホが死ぬ前は全然評価されなかったらしいし。じゃあいいじゃん、ゴッホよりラッセンが好きでも、ピカソの絵の良さがよくわかんなくてもさ。

なんかいいワイン飲んだら豊富な語彙で褒めなきゃいけない気がする、とか、音楽オタクとライブに行ったら演奏技術について言及しなきゃいけない気がする、とか、有名な絵画観たら凄かったって言わなきゃいけない気がする、とか、そういうのを卒業したいよな。

 

余談な上に少し前にTwitterでも話したことだけど、その上で「わかってる人」の感想や意見を聞くと、更に作品に深みが出てきたりするので、いろんな知り合いがいることは本当に恵まれてる。ああ~、自分に無い視点! 視野! おまえの世界、画質、良っ……!!!

人生の使い方が違うんだから、視点が違うのも当たり前なんだけど、悔しく思ってしまう。ここで悔しがってないで、素直に尊敬しつつそれを少しわけてもらえることをありがたがれよ、と思うが、私は根が非常に負けず嫌いでプライドが高いので多分無理。悔しい。ずるい。このプライドの高さを受け入れた上で、少しでも高解像度の世界に近付くために、あらゆる分野でのあらゆる話を聞いていきたいという気持ちはある、気持ちは。でも悔しい。

 

美術展に行きたいって話をすると、わりと低くない確率で「美術わかんないんだよね」と苦笑いされる。そういうときによく悩む。まじで興味無くて行きたくないのか、前述したような理由で怯んでる私の仲間タイプなのか……どうするべきなんでしょうね。無理強いすることではないのは確か。「あの絵が好きだった」とか「あれはよくわかんなかった」「あの絵の人の顔が面白かった」みたいな話聞きたいんだけどな、って。でもこれ人によっては結構力がいると思うんだよな。実際私も「わかんなくてもいいから!」って言われてもちょっと勇気要る。難しいね。結論、出ず。

 

そろそろ自己紹介に戻るか。いやこのブログはそういえば全編通して自己紹介みたいなものなのですが……私はモネがかなり好きです。クロード・モネ

水たまりに一瞬反射する眩い光とか、どこに植わってるのかもわからない金木犀の香りとか、寝れなかった翌日の早朝に出かけた日の薄明るい空の遠さとか、そういうのが好きで。モネの絵が好きなのは、そういう「瞬間」の光を感じるからなんだろうなと思う。

印象派」と呼ばれる画家で、それまでは写実的な、まるで写真のような絵画が良しとされていた時代だったので、当初その写実性のかけらもない画風は全く受け入れられなかった……と聞いたことがある気がします。

昔から感覚的にモネの絵は好きだったのですが、決定的にその人が好きだと思ったのは「キャプシーヌ大通り」の絵についての説明を読んだときでした。窓から見た大通りの雑踏が、黒い絵具で点々と描かれた絵です。調べてみて、ウィキペディアもあるから。

雑誌では「なんだこの黒い点々、人のつもりか」と相当こき下ろされたそうですが、それに対してモネ自身は「私にはこう見えた」と返したという話があります。印象派という言葉は最初は揶揄として使われたそうですが、あまりにも天才的なネーミング。見えたものの印象を絵にするというスタイルを、誰よりも早く、堂々と確立した人なんですよね。痺れる~……印象派の時代から絵画のスタイルって一気に広がったような気がしています。

モネの絵は、その瞬間の空気を、煌めきとか、香りとか、空の遠さとか、そういうものを伝えたいという心を感じるから好きです。もしこの記事をこんなとこまで読んでる人がいて、モネの絵を観る機会があったら、思い出してみてほしい。あ~、市井游の推しだったなそういえば、という感じで。図々しくも、誰かに私の解像度を少し分けられたなら嬉しいですね……忘れてたら忘れてたでいいよ。楽しければなんだっていいんだ。

 

ちなみにこのちょい後に出てきたのがゴッホで、彼の絵も結構好きです。何故なら青と黄色の組み合わせが好きで、ゴッホの絵にはそれがよく出てくるから。単純!