007 空が綺麗だった話(映画「Klondike」感想)

映画祭で観たKlondikeの感想ですが、関係無い話もいっぱいします。多分、観てなくても読めます。主に「男女」の話。あまり好きじゃない人もいるかもしれない。私もあんまり好きじゃない。

ちょっと前にトレンドに上がった「性欲由来の優しさ」の話がめちゃくちゃ面白かったのでそれにも言及する。

 

ちなみになんでタイトルがクロンダイクなのか調べても出てこなかった。カナダの地名らしい。何故カナダ。わからん。

昔は金が採れてたらしいです。パソコンに入ってるソリティアの正式名称でもある。

 

映画の最後に「女性へ捧ぐ」みたいな文章出てきてビビりました。

 

男が女がみたいな、生まれたときの運ゲー2分の1で人生のいろいろ左右されすぎだろ感は、ある。順を追って話したいけど順がわからないな。

 

今日話したいこと〜、2つです。Klondikeの感想。もいっこは性差の話。

 

映画Klondikeはかなりショッキングな内容でした。超ざっくり説明すると、戦争の影響が大きい紛争地帯での夫婦の話。「落ち着いたらさ、天井の穴開いたとこに、窓つけようよ。家具も新しくしてさ……」みたいな会話から始まります。

妊娠してる奥さん。村から出たくない旦那さん。村から姉を連れ出したい、奥さんの弟。分離派の知人の男。いろんな思想が絡まって反発して物語が進み、最後にはロシア軍の兵士に旦那さんと弟が撃ち殺されて、ひとり残された部屋で奥さんが出産、赤ん坊が短い産声をあげたシーンで映画が終わります。

 

夫婦が住んでる家の寝室には、南国の景色、海と空が幻想的に描かれた壁紙が貼ってあるんですが、映画の序盤でその壁が分離派の誤射した砲撃で破壊されます。そのせいで、室内を映したシーンでも大体外の風景が映ってます。んで映画中通して、空がめちゃくちゃ綺麗。壁紙より全然綺麗で、外の光が入るので明るくて。朝焼けか夕焼けのシーンが多い気がする。永遠まで広がる、淡く澄んだ水色と、薄桃色のグラデーション。その下で起こっている惨劇。

空が綺麗だね、なんて台詞は出てこないです。その代わり、天井の穴に窓をつけようって台詞が出てきます。大破した壁から見える景色は美しくて、「ここも窓にしよう」って言うんです。壁があって、窓があって。この村の空や景色があまりにも綺麗なことは、夫婦にとって当たり前のことなんだろうな、と思います。夜が来て朝が来て、今日も空は美しい。だから、窓をつけようね。

 

劇中でその夢が叶うことはありません。生まれた子供と、残された奥さんがどうなったかはわかりません。子供は予定より2ヶ月早く生まれて、弟と旦那は死んでます。無事ではないだろうな。

 

映画を観終わったときはとにかくショックで、その衝撃を上手く言葉にできなかったんですが、(一緒にいたときさんるかりおさんに心配かけました、ごめんね。気を遣ってくれてありがとう)多分、「祝福されない出産」っていうのが本当につらかった。

子供が産まれて母親が生きてる、じゃあそれはめでたいことだって言い切れないとダメじゃん。なのにこの映画では、赤ん坊が無事かもわからないし、親子が今後どうなったかもわからない、ただ普通にご飯を食べて、普通に生きて、普通に成長するというふうにはいかないと思う。希望が無い。産まれたばかりで、全ての可能性を持っているはずの赤ん坊に、希望が無い。そんなことが起こってるんですよ。

空は綺麗で。テレビを着けたらサッカーの試合が流れてて。なんとか食べて、毎日を繋いで。家があって。壁と窓の代わりに穴があって。眠りに就いて。赤ん坊が産まれて。旦那と弟が殺されて。日常の、当然の幸福の中に、いとも簡単に、戦争の痛みが振り下ろされる。喜ばれない出産も、死も、綺麗な空の真下にある。

 

壁が無ければ綺麗な空がずっと見えるのに、壁紙に偽物の空をチョイスしたのが意味深だよな。家には壁が必要です。壁は外と中、外と家を隔てるもので、守られるべき家庭、プライバシーの象徴。夫婦の家にはいろんな人がやってきていろいろ言ってきます。そこに夫婦の、あるべき家庭の姿とか、当たり前の幸福とかが無い。

空の下には戦争がある。壁も屋根も穴の空いたここには、戦争が降り注ぐ。

 

ショックだったなぁ。

 

んでなんかまぁ、性差。性差の話。こっからは結構蛇足というか、どっちかというとTwitterのトレンドに入ってた「性欲由来の優しさ」に関する話。

 

最後家に押し入ってきたロシア軍が「生まれたガキが女だったら俺に寄越せよ」「男だったら俺が」みたいな話しててカスだなと思ったんですが、なんというかそう、女性や子供って守られてるんだなっていうか……

 

「性欲由来の優しさ」とかいうトレンドは、「抗うつ剤の副作用で性欲が死んだんだけど、性欲が死んだ結果、今までなんとなく素敵に見えていた女性たちがうるさいチビにしか見えなくて、女性に優しくするのが苦痛になった」みたいなツイートが発端でした。

んでそれに対して、声の大きい女性陣が「性欲由来の優しさなんか要らない、子供や老人にするような優しさがあるだろうが」「優しくする男どもみんなワンチャンあると思ってるって話?まじでキツい」みたいな反応で、声の大きい男性陣は「全部サイゼで割り勘になるがいいのか?」「優しくされてる自覚も無いのか」みたいな反応をしてて、わりと極端に二分化しててへぇ〜と思いながら見てたんですが。

 

こっからは完全に私の妄想。多分、性欲由来というわけじゃなくて、性欲とセットなだけなんじゃない? という気がしており。もし仮に男性の本能に女性への優しさがなくて、性欲だけがあったとしたら、多分女性に対していくらでも暴力的になれると思うんですよね。平均すればだいたいどうしても男性の方が力が強いので、女性に優しくしなくていいんだったら適当に騙くらかすなり力で黙らせるなりで子供産ませればいいていう方向に行く可能性がもう全然ある。

でもそれだと繁殖のシステム的に困る。だって産むの女性なので。女性の身体に負担がかかると繁殖がスムーズにいかない。てことで「女性は大切にしないといけない」、その感情に結びつけるために「女性に評価されることは良いことだ」とか「女性には優しくするもんだ」みたいな感覚がもう本能的に性欲とセットで実装されてるんじゃないかな〜〜という、想像です。

なんで、別に性欲由来ではないというか。傷つけちゃいけない、守ってあげなきゃいけないという抑止力みたいなものが性欲と一緒に削げ落ちるんだろうな〜という気がする。多分だけど。

 

まあだいぶ男女の社会的地位の差って是正されてきてはいると思うけど、それでも言うてまだまだ残ってるし、女性ってどうしても突然暴力に晒されるかもっていうのに怯えなきゃいけない場面はあるのよな。痴漢なりレイプなり、一人暮らしするなら2階以上にしろとか、短いスカートで混んでる電車乗るなよとか、飲み屋でトイレに立つなら飲み物残すなとか。そういうやつ。そういう恐怖がある中で、なんでかわからんけど真っ当に楽しく生きられてるのは、社会とか男性の、女性に対する、本能的で無条件の優しさに護られてるからなんだと思う。

件のツイートの流れの中に「女性は男性の優しさに無自覚に浸って生きている」みたいな話があって、振り返ってみればまあ、そうだなぁって思います。それで痴漢やレイプから直接的に護られたのかっていうとわからないけど、全ての男性からその優しさが消えるとかなり生きづらいし怖いと思う。

まあ、誰にでも優しくしろよって言ったらそうなんですけど。そういうのはちょっと今は置いといて……

 

Klondikeの最後に、「女性に捧ぐ」みたいな字幕が出てきて、そのときは「い、意味わからん!! 捧ぐなよこんな恐怖映像!!!」って思ってたんですけど……子供や子供を産む女性って本当に非力で、壁や屋根と、優しい男性がいないと、まじで健康に普通に生きていくのきっついんですよね。映画とかそのツイの流れとかを観て、「ああ、護られてるんだ」「今幸せに生きられているのは環境のおかげだ」っていうのを妙に理解してしまって。

 

社会の形はどんどん変わって、精神的な性差、要はジェンダーに対する価値観もどんどん更新されていくけど、身体的な性差、本能的な部分で、たぶんこのシステムだけはどんなに薄らいでも残ると思うんですよ。そのことの有り難さというか……幸せに生きられるのって、当たり前だけど、当たり前であるべきことだけど、凄いことなんだなと思いました。うん。

これが当たり前じゃない国や地域もたくさんあるし……そのことは知っておかないとなと思うし、常に何かに感謝して生きろってわけじゃないけど、それは疲れるので……ただ時々思い出して感謝できるように、忘れないようにしないとなっていうのと。

子供を産む機能があるからそういう仕組みなのかもしれないけど、なんかだからといって産まなきゃいけないとかじゃないし、弱いので護られているという話だとして、じゃあどう生きればいいんだろうってなったとき、まあ……ちゃんとしっかり生きることだな〜というとこに落ち着く。護られて生きている命だからこそ、楽しく幸せに、余裕があるときは感謝を込めて、何かに還元していきつつ。誰かに優しくしてみたりとか。たまに募金してみたりとかね。そういうの。

一応映画のテーマとか最近見た面白ツイートの影響で、女性だからーという論調になったけど、まあみんな誰かに護られて生きてるってのはそりゃそう。その上でって話ね。予防線が好き。

 

昔は死にたいとか死ぬしかないとか死ぬか〜とか思うこともわりとあった。ありました。昔っていうのは盛ったな、最近もある。無いわけじゃない。まあ……最終自由だとも思うし……でもなんか、いろんなものを、いろんな人から、当たり前のような顔をして貰って、受け取って生きてるんだなというのは、ちゃんと忘れないようにしたいなと思った。これは個人的な感想で、誰かに強制するようなものではないです。

 

久々に長文お気持ち表明できて満足。みんなおやすみ。明日も幸せに生きろよ。